長崎さるく 「ながさき」を歩こう 

 「長崎さるく博」は「まち歩きの仕組み」で
2006年度グッドデザイン賞(Gマーク)を受賞したそうです。



夕陽が美しいキリシタンの里
〜遠藤周作が魅せられた町〜


昨年、参加したくてもいつも満席だったこのコースへ
やっと参加することができました。

期待に胸膨らませて集合場所へ着いたら、
始まったばかりってこともあったのか、

前日までの天気予報が良くなかったせいか、
定員15人に対し、私達夫婦だけの参加ということで、
ガイドさん独占!状態で、超ラッキーでした。

2007/4/14


まずは、恒例の今朝の港の風景です。


早朝、クリスタルシンフォニーが入港してきました。


その横に蚊?みたいな船が泳いで?います。


小さくてかわいそうなので、アップにしてみました。
(あまり大きさは変わりませんでしたが・・・)
この船は入港歓迎のシャワーを放っています。





さて、恒例の、今朝の港の風景は終わり、いよいよ外海町(そとめちょう)です。


ちょっと逆光で見難いと思いますが、これは、「沈黙の碑」です。
外海町が、遠藤周作氏の「沈黙」の舞台となったことにちなみ建立されました。

「人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです」

と刻まれています。







ここは外海歴史民族資料館です。


1階が先人達の遺産や暮らし及び池島炭鉱について、
2階はマリア観音や隠れキリシタンの資料があります。
(写真は1階の農機具などです。)


池島炭鉱は閉山してしまいましたが、
今でも、アジアの国々から高度な技術を習得するために
研修生が来ているそうです。

(上の写真は、下方の恐竜の背中みたいなのが、石炭を掘削する機械で、
上方の平らなものは掘削中に天井が落ちないようにする支えだそうです。)



みなさんご存知のわらじですが、
布で綺麗にまいてある鼻緒のわらじは
特別の日用だったそです。


左側に吊ってある湾曲したわらじ?は牛用だそうです。


2階には隠れキリシタンの貴重な資料がたくさんありました。
外海町に行かれた際はぜひ、ご覧になって下さい。




次は「「ド・ロ神父記念館」を訪ねました。

この建物は、旧いわし網工場跡で、ド・ロ神父の設計で県指定史跡です。
ド・ロ神父の功績がたくさん詰まっています。(必見!)

神父は、産業・建築・医療・教育文化など、
あらゆる知識と能力を持ち合わせていらっしゃったようです。

ガイドさんの詳しい説明を聞いていたら、写真をとっていませんでした。


ド・ロ神父愛用のオルガンもここにあります。
何年か前に修理して、まだ現役で頑張っています。
どんな音色だろう〜と思っていたら・・・

シスターの演奏により、賛美歌を歌いました〜

♪ い〜つくしみ深〜き〜、友なるイエスは〜♪

(美声?いや、そのやさしいオルガンの音をお聞かせできないのが残念です。)






ここで、ド・ロ神父の紹介です。


明治12年外海地方の主任司祭として赴任したフランス人宣教師ド・ロ神父
布教はもちろん、困窮を極めた暮らしを続ける人々を
魂と肉体の両面から救うため、農漁両面に力を注がれました。

碑の背景に写っているのは、
神父が私財を投じて設立した旧出津救助院跡です。
ここで、織物やマカロニ・そうめん製造などの技術を教えました。
建物の中には神父の功績の数々が残されています。

この建物も世界文化遺産候補になっている長崎の教会群のなかに入っています。
(現在は国指定重要文化財です。)


旧出津救助院のド・ロ塀。

ド・ロ神父独自の工法を用いた塀で外海町のあちらこちらに残っています。









次は出津(しつ)教会です。まずはちょっと離れた所から〜


出津教会も世界文化遺産登録候補の長崎の教会群の中の一つです。

明治15年、ド・ロ神父の設計施工で建てられた教会。
(県指定文化財)
低く堅牢な造りは、台風の被害を避けるためです。

鐘楼の鐘は神父がフランスから取り寄せたもので、
朝夕に美しい鐘の音を谷間一帯に響かせています。

(戦時中に一度、鐘は金属ということで政府に取り上げられたそうで、
その時、住民はひどく哀しんだそうです。)







次は大野教会です。


大野教会
このようなところに教会があるなんて・・・


明治26年建築の出津教会の巡回教会
(県指定文化財)
ここも、世界遺産候補の教会群のひとつです。

この教会の壁もド・ロ塀でした。
もちろん、神父の設計施工によるものです。


オレンジのボルトがありますが、
当時の日本建築ではボルトは使われていなかったそうで、
これが、ド・ロ神父による西洋建築を証明する大きな要因の一つだそうです。









次は大平作業場跡(市指定史跡)です。

ここは、当日案内して下さったガイドさんが藪の中に見つけ、
奥様と二人で切り開いた史跡だそうです。


ガイドさんの説明を聞きながら歩いていると、
突然このような建物がみえてびっくりしました。


ここは、ド・ロ神父がこの辺一帯を開墾するときに用いた
農作業小屋です。

 
部屋は大きく4つに分かれています。


いちばん手前は馬小屋だったらしく
ド・ロ神父が馬をつないでおいた金具も残っていました。







次は、バスチャン屋敷跡です。


キリシタン迫害時代、
熱心に布教した日本人伝道士バスチャンの
隠れ家跡地です。

「沈黙」の中にも出てきますが、
本当に、山奥に身を隠して
信仰を続けていたんですね。









次兵衛岩

もう一つ、このガイドさんが、
隠れキリシタンの古老達の話をもとに
何度となく山奥に入って探し当てたという
次兵衛岩という場所が、
もっと山奥にあります。

発見した時は、
先祖によって遵守されてきた形跡が
はっきりと残されていたそうです。

そこへは、道なき道を登っていくので、
このガイドさんに案内してもらわないと、
行けないそうです。







最後に黒崎教会です。


信徒達が奉仕と犠牲の結晶として一つ一つ積み上げた煉瓦造りの聖堂は
大正9年に、ド・ロ神父の指導で完成。

簡素な構成が煉瓦の美しさを際立たせており、
深い奥行きの内部はステンドグラスが印象的です。







遠藤周作文学館

外海町には遠藤周作文学館があります。
遠藤周作氏の文学の全てがつまっているすばらしい文学館です。

氏の代表作である「沈黙」の舞台となった土地であり、
氏がこころより愛した土地だからこそ、
この地に建てられたと聞きましたが、
この長崎さるくのコースに参加し、
ガイドさんの詳しい説明を聞き、また史跡の数々を実際に目にして、
ここに氏の文学館がある意味を納得しました。

とても見ごたえのある文学館であり、
また館内には、「ド・ロ様そうめん」を味わうことのできる
眺めのいいレストランもあります。





遠藤周作文学館から出津文化村を望む。(2006.2.12)

写真を撮った日はあいにくの曇り空だったんですが、
お天気の良い日は写真の左側に広がる海に
沈む夕陽が最高に美しく
日本の夕陽100選に選ばれているそうです。






子捨川(こすてごう)

黒崎に子捨川(こすてごう)と呼ばれる所があります。
迫害時代、この地を治めていた大村藩は経済の安定を計るため、
人口増加を防ぐ策として長男を残し、
その他の子どもの間引きを強制していました。

子捨て川の名は、
この際、崖から我が子を投げ落とした悲惨な出来事に由来しています。

また同時代の黒崎海岸は、我が子を殺すことなく、
自らの信仰を貫ける新たな定住地を五島に求めた外海の人々が
命がけで船出した場所です。








最後に

長崎の教会群が、世界文化遺産候補にあがっています。

これらの教会は、
けっして外国の教会みたいに絢爛豪華なものではありません。
小さな木造だったり、立派なステンドグラスも無かったりします。
なのに、なぜ?って思っていました。

でも、この「長崎さるく 夕陽が美しいキリシタンの里」に参加して、
長崎の教会群には世界遺産に登録されるだけの
キリシタンの強い信仰と哀しい歴史がある
ということがよくわかりました。

私達はこれらの歴史を、大切に残された教会群とともに
大事に守り伝えていかなければならないと思いました。







今日のガイドさんは、外海史跡保存会会長を務め、ご自分でも、
外海町の歴史についての本を発行されています。

丁寧な説明をありがとうございました〜






(出津教会 2006.2.12)

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