長崎さるく博

     〜日本ではじめてのまち歩き博覧会
      (開催期間2006年4月1日〜10月29日)〜

            
アンゼラスの鐘の丘を訪ねて

〜原爆落下中心地・平和記念像から浦上天主堂〜

2006/9/3


 まず最初に原爆落下爆心地へ行きましたが、
なぜか、写真のシャッターを押せませんでした。

  (原爆により73,884人が死亡、74,909人が負傷したそうです。
当時の長崎の人口は約21万人だそうです。)


平和記念像

長崎出身の彫刻家・北村西望作

天を指した右手は原爆の脅威を、
水平にのばした左手は平和を表しています。



長崎市立山里小学校。(山里国民学校跡)

被爆により、全校児童1581人中、1300人、
教師28人が亡くなったそうです。

永井隆博士が子供達と建てた「あの子らの碑」もあり、
たくさんの千羽鶴とともに佇んでいます。

また校舎の裏には多くの人が避難し、
息をひきとった防空壕が保存されています。

私が行った時、ちょうど小学校の時計が
11時2分(原爆投下時刻)
を指していました。




如己堂(にょこどう)

永井隆博士
の晩年の住居。

博士は、長崎医大付属病院で被爆し、
重症を負いながらも被爆者の救援活動に奔走。

原爆で夫人を失い、白血病で寝たきりとなって
2人の子供とともに畳2畳のこの如己堂で暮らし、

「長崎の鐘」「この子を残して」など数多く執筆。

戦争の悲惨さと世界平和を訴えた作品は
ベストセラーとなりました。


浦上天主堂 鐘楼ドーム

原爆の爆風で、天主堂の左塔のドーム部分(50トン)が落下。
さらに夜の大火災により北側の川底へ崩落したそうです。
(そのままの状態で残っていました。)


浦上天主堂

江戸時代30年の歳月をかけて建てられた聖堂が、原爆により全壊。

戦後、コンクリートで再建され、
1981年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世訪日を機に
外壁を煉瓦タイルで改装、
昔日の面影がよみがえりました。



原爆の熱線に灼かれ破壊された聖像の数々。



浦上天主堂の裏に被爆マリア像チャペルがあります。
被爆マリア像に祈りをささげたあと、そとに出たらちょうど
アンゼラスの鐘が鳴り響きました。


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