2006/9/3
まず最初に原爆落下爆心地へ行きましたが、
なぜか、写真のシャッターを押せませんでした。
(原爆により73,884人が死亡、74,909人が負傷したそうです。
当時の長崎の人口は約21万人だそうです。)
平和記念像。 長崎出身の彫刻家・北村西望作 天を指した右手は原爆の脅威を、 水平にのばした左手は平和を表しています。 |
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長崎市立山里小学校。(山里国民学校跡) 被爆により、全校児童1581人中、1300人、 教師28人が亡くなったそうです。 永井隆博士が子供達と建てた「あの子らの碑」もあり、 たくさんの千羽鶴とともに佇んでいます。 また校舎の裏には多くの人が避難し、 息をひきとった防空壕が保存されています。 私が行った時、ちょうど小学校の時計が 11時2分(原爆投下時刻)を指していました。 |
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如己堂(にょこどう) 永井隆博士の晩年の住居。 博士は、長崎医大付属病院で被爆し、 重症を負いながらも被爆者の救援活動に奔走。 原爆で夫人を失い、白血病で寝たきりとなって 2人の子供とともに畳2畳のこの如己堂で暮らし、 「長崎の鐘」「この子を残して」など数多く執筆。 戦争の悲惨さと世界平和を訴えた作品は ベストセラーとなりました。 |
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浦上天主堂 鐘楼ドーム。 原爆の爆風で、天主堂の左塔のドーム部分(50トン)が落下。 さらに夜の大火災により北側の川底へ崩落したそうです。 (そのままの状態で残っていました。) |
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浦上天主堂 江戸時代30年の歳月をかけて建てられた聖堂が、原爆により全壊。 戦後、コンクリートで再建され、 1981年ローマ法王ヨハネ・パウロ2世訪日を機に 外壁を煉瓦タイルで改装、 昔日の面影がよみがえりました。 |
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原爆の熱線に灼かれ破壊された聖像の数々。 |
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浦上天主堂の裏に被爆マリア像チャペルがあります。 被爆マリア像に祈りをささげたあと、そとに出たらちょうど アンゼラスの鐘が鳴り響きました。 |